魔界塔士SAGA 神について思う
魔界塔士
もう帰る
ドラクエ4、ドラクエ2、に続いてプレイしました。


最初は本当にワケがわからなくて、難しすぎて詰まりました。
ハート(LP)が3しかない上に、しかも死んだら生き返らない。
(でも、死んでくれないと「おれはいやだぜ」とか言われ、仲間から外せない)
ハートは一応買えるけど、最強の防具と同じ値段(だったはず)。当然宿屋では回復しない。
しかも敵はサガなので強い! (まあ、あの時代のゲームはサガに限らずそうだけど)
多分エスパー3人とかにすれば大分楽だったんだろうけど、人間2人、エスパー1人モンスター

1人とかいうパーティにしてしまいました。エスパーなら敵と戦えば勝手にレベル上がるけど

、人間はレベルが上がらない。お金でステータス上げなければならない。
でも戦うと武器の耐久度がどんどん減っていく。しかも回復しない。
でも戦わないとお金がたまらない。もう悪循環だ、これは。
人間いらねえな・・・ホント。
でも、気付いた頃にはすでに海洋世界だった。
最初からやり直すには進めすぎてました。
それでも何とか進めました。セーブにセーブを繰り返して・・・
むしろ敵が出たらリセットするぐらいの勢いで進めてました。
あの頃からサガは一回戦うごとにセーブしなければいけないゲームでしたね。

それにしても、最初からなんか飛ばしているゲームだった。
1階では、どこかの王様が熱愛している「村一番の美人」というのが、どう見てもモンスター

なのとか素晴らしいセンスを見せてくれます。しかも最後身ごもっているし。一体どんな子供

が生まれるんだろう?
たしか、このイベントで王様に頼まれた時の主人公の台詞が「ひとはだぬぎやしょう!」だの

「感謝はともかく褒美のほうは?」みたいな感じで、「おいおい。それが、世界を救う勇者様

の言う台詞かよ?」と思った。既にサガテイスト全開ですね・・
さすが河津。

でも、村一番の美人さんは見た目はともかく、性格は普通に可愛い子だったので安心しました


でも、何でモンスターなんだ?
あの世界では種族差別がまったくないのか。ある意味、理想郷ですね。別に最上階に行く必要

なくね?


最初の世界から衝撃的でした。

続く海底世界はあまり覚えていないのですが、空中世界のジャンヌとミレイユ姉妹の話は良か

ったです。「涙をふいて」が流れるシーンで泣いた。死にネタは個人的にあざといので嫌いな

んですが、ここは良かったです。
ミレーユは元祖スクエニ悪女と言われてますが、私はそうは思えません。
「早く目の前から消えて!!」の悲痛な叫びはいまでも忘れられません。

そうそう、空中世界といえば、「おい〇〇、ガルガル野郎といい女とどっちが好きだ?」
ですね。

でもウチのパーティみんな女(モンスターも女名だった)だったんだけど・・・・
「聞くまでもなかろうよ!」の答えに私は
「え?どっち?」
と思いました。

都市世界も好きです。
ここで、かかわってくる、さやかという女の子がRPGにありがちないい子と言う感じではなくち

ょっとワルい感じでよかったです。 まあ、暴走族の総長の妹だしね・・
その総長が原発で身代わりに死ぬシーンで、思わず涙しつつも、その後、ふとその場所に戻っ

て見たら、「なんで又死んでるんだ兄貴!!!!」 な状態でした。
なんてこったい、流石元祖サガ。イベントループだよ。
せっかくの良いシーンが台無しだ。
仕方が無いので、全員分のゾクのハチマキを手に入れました。おかげで4回も死なせてしまい

ました。すまん総長・・・・君の死は無駄にはしない

それ以外にも排水溝(だったっけ?)にごみが詰まって大洪水になってしまった世界とか、そ

の下にあるすっかり雨が降らない世界とか、なかなか笑えた。
それにしてもゴミをつまらせた「たかしくん」って誰?FF4の開発室にも同じ名前の人いた

よな?

そういや、塔に登りつめられずに死んでしまった人の記録の書庫が、なんだか怖かったです。
それがね、ただ階と名前がかいてあるだけなんですよ。
正直言って最初はこれがなんなのかわからなかったけど、その意味が分かったらゾッとした。

ああ、でも、本当にやりきれない気分になったのはシェルターの親子。
そこの階にいったらいきなり子供の死体があって、その時点で「なんなんだ!これは!」って

叫びたくなるんですが、 奥にいくと、大人の死体があって、そのそばに遺書らしきものがあっ

て、これがね、もうね・・
シェルターに逃げたはいいが、食料が無くなっていって、自分はいいから、子供だけは生きて

いて欲しいっていう内容で、「もう限界だ」の言葉と同時に、レクイエムがかかるのがホント

に「うわーんどうしよう?!」って気分になった。
これが、オールひらがななのに臨場感があって本当に恐い。
なんか、すごい映像じゃなくても、ここまで演出できるんだなと、感心する。
で、最後に「神よ子供達をお救いください」という内容で終わります。
(ちなみに、この手紙を読むと何故か核爆弾を手に入れることが出来ます。いいのか?)

それから、確かその次の階だったと思うんだけど、
一面の花畑で、その中で一人老人がいるんですが、その人は「神からエクスカリバーを勇者に渡せと言われ、ずっと此処で待っていた。でもこれで神との約束を果たせた。だから満足だ」

みたいな事を言って満足して息を引き取ります。
それだけなら、感動的な話なんだけど、クリアした後に、彼の人生はいったいなんだったんだろう?って物凄く考えさせられました。


そんなわけで、
敵に苦労しながらも、たまたまモンスターが骸骨戦士に転職?できたため「ノコギリ」でアシュラとか朱雀をバラバラにしつつ、塔の最上階に行きました。
楽園への扉の前にシルクハットの男が立っていた。。
ロマサガの詩人なみにあちこちに現れ、主人公達に助言を与えてきたシルクハットの男。
それが神だった・・
まさか、そうは思わなかったので、驚いた。
(だから、ロマサガで詩人がエロールだと知っても「またかよ!」としか思わなかった。)

神は「このゲーム(まあ、確かにゲームだが)を勝ち抜いたのは君たちがはじめてだ。私は自

分が作った世界にあきあきしていた。だからアシュラを呼んだ。人間の生きようとする姿は私を楽しませてくれた。」うろ覚えだけど、こんな感じの内容だった。
多分今でも、これ以上の悪役はいないんじゃないかというぐらい衝撃的な台詞だ。
ただ、本能で悪を行う魔王や邪神が可愛く見えてきます・・・

主人公達じゃないが、「全て、あんたの書いた筋書きだった訳だ!」って思った。
そしてシェルターの親子やエクスカリバーの老人の死が何のためにあったのか?
このやりきれなさと怒りを何処に持っていけばいいのだろう?
でも、神は冷静に言う。多分今、魔界塔士がプレステ2で出たとしたらその表情は笑顔だった事でしょう。
「それがどうしましたか?すべては私が作った物なのです」
「俺たちは物じゃない!」
あの、およそ勇者とはいえない主人公が珍しく真面目で驚いた。
その様子を見て神は言う。
「これが生き物のサガか。」
この台詞ではじめて題名が北欧の英雄伝承の「サガ」ではなく、日本語の「性」と言う意味だったのだと知った。
それがこのゲームのテーマだったんだな。

で、「怒闘」の曲と共に戦いに入る。
最初普通に核爆弾とか使って倒そうとしてました。
でも物凄く強かった。勝てそうも無いと思った。
にっちもさっちも行かなくなって、まさかいくら何でもそれはないだろうと思ってやけくそで「のこぎり」を使ってみる。
そしたら、あの有名な台詞

かみはばらばらになった

のメッセージと共にあっさり倒れました。

・・・・・・・
そうですか。

壮大なギャグを有難うサガ。

それを求めてここまで来たはずなのに、結局「悪い奴全部やっつけたから、この世界も悪い世

界じゃないと思うぜ」とか何とか言って楽園の扉にせを向け、帰り路につきます。
最後「行こう俺たちの世界へ」でスタッフロール。
普通に感動した。
楽園とは、誰かに与えられる物じゃなくて自分で作るものなんだな。と思いました。



サガ1って凄く殺伐としていてそして鬱な内容だったな・・
なんか「殺してでも奪い取る」が大した事ないような気がしてきた。
でも、最後の神とのやり取りが熱いです。っていうか、あの殺伐としたシナリオがあったからこそ生きるような気がします。
とにかく、印象に残るゲームだった。いろんな意味で深くて濃かった。
サガの元祖にふさわしく難しいし、バグも多いし、主人公はいい加減だし、男でも女でも一人

称オレだけど、それでも面白かった。

チェーンソーで神をばらばらにするという事だけが有名になってますが、決してそれだけのゲームではありません。




私は昔は神が大嫌いでした。
つうか、やっぱり今でもあの一連の台詞には主人公と同じように怒りを感じます。
でも、あの神の存在こそが魔界塔士の魅力だと思うのです。
「神に救いを求める、でもその神が全ての元凶だった。結局神の掌の上で踊っているだけにすぎなかった」というやりきれなさと「それでも、自分の出来る限り、悔いのないように生きて

いく」という希望、相容れないものが同時に存在する話だと思う。

でも、本当にやりきれないのは神の在り方だなあ・・と今なら思う。
魔界塔士では神と言う存在は一人しかいない。
たしかに、いろいろなものを作ったけど、それは対等な存在じゃない。
作る事に夢中になっているときはいい。でも全てを作り終わったら確かに最初は満足感を得るだろうけど、でも目的が無くなったら、あとに残るのは確かに果てしない倦怠のような気がする。
でも、自分と対等な存在は何一つ無いので、話し相手すらいない。ホントに孤独だ。
そりゃ絶望もするだろうさ。そう考えるとミンサガやサガ2の神様達は一人じゃないから幸せだと思う。(ネタにもしやすいし)

もしかしたら、神は自分を殺してくれる存在こそを求めていたのかもしれませんね。
それで、果てしない絶望から開放されたかったのかもしれない。
そのためにあのようなゲームを仕掛けた。
そう思えて仕方ありません。

そう考えるとサガシリーズで一番不幸なのは神だな・・・

挙句の果てにバラバラになった神とか言われてネタにされてるし。

そうそう、やっぱりあれはバグらしいですね。
しかし、あまりにネタになりすぎてしまったので、何度リメイクされても神はばらばらにされる運命になってしまった・・・・
本当に可哀そうですね。





携帯アプリ版では「神はばらばらになった」の後に「神は死んだ」表示されるそうです。

やはり、ニーチェの有名なセリフで最後を締めたかったのですね。

「倒した」でも「やっつけた」でもなく「しんだ」と表示されるのが当時から違和感があったのですが、最後にどうしてもこのセリフで終わらせたかったからこのようにしたのかな?
と思います。

私はニーチェはざっと読んだだけなんで、勘違いをしているかもしれませんが、
ニーチェのいう「神は死んだ」とは、
キリストが説いた教えではなく教会が作り上げた独善的な教えを盲目的に信じ信仰する事で救われるという考えで神に頼り、そして自分では何もしない・・という事について批判しつつ、人間には自らの力で理想の生き方を作りだす事ができる可能性について語ったもの・・・なのだと思います。

そのように感じました。

絶対的な真理や絶対的な善もない、この現実の、人間の生きる世界に作り出さなければ意味がない・・・

そう言っているようにも感じました。

と、すると、魔界塔士において主人公が「楽園にいくのではなく自分達の世界に帰る事」を決意したのもおそらく、そういう意図があるのではないかと思うのです。

いや、そこまで考えたかどうかわかりませんが、ただ「神は死んだ」は間違いなくニーチェから引用したと思います。


ニーチェといえば、彼は芸術はアポロン的なものとディオニュソス的なもの二つに分けられると提示しました。
芸術作品の美しい表面がアポロンであったらば、その美の仮面の下にある恐ろしい深層がディオニュソスであり、そして、アポロは理性と調和と安定ををディオニュソスは感情と破壊と創造であると説きました。
どっちがどう、とかではなく両方の統合が必要なのだとニーチェは説いたようですが、本人はどう考えてもディオニュソス的な人物であったようですね。

そしてアポロン的なものというのは停滞であり、ディオニュソス的なものとは進化であるともいえます。
安定は停滞と等しく、破壊と創造を繰り返す事で進化する。

もしかしたら、サガ2の神がアポロンなのもそのあたりが理由だったりして。
同じ人がシナリオを描いたのなら、引用したモトネタは同じであってもおかしくないよね・・。

で、主人公達の存在がディオニュソス的なものという事で・・。
ティオニュソスとはギリシア神話の葡萄酒の神で狂気的なものをつかさどり、そして人間のもつ荒々しい生命力の象徴でもあります。

アポロンが調和をつかさどっているかどうかはわかりませんが、むしろ秩序を壊している気がしますが・・・
秘宝という存在は「絶対的な力」をもつモノであり、それを求め、自分以外の外部の力にすがり、そこに安住しようとした彼は間違いなくニーチェの否定した「神への信仰にすがり、自分で何もしない者」であると言えますね。


こう考えてみて、ニーチェって・・・RPGとの親和性が高いよね。と思った。
ゼノサーガなんて題名がまんまニーチェの本の題名だし。
ゼノブレイドのラストとかに「神は死んだ」的な感じの内容で終わるみたいですね。

この文面とか・・・まんま7英雄じゃん。

怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ(善悪の彼岸より)


そうそう、サガ3はサガらしくない、とよく言われていますが、
それはサガがここまで続いた今だからそのように思うだけで、スクエニがサガを「神と人間の対峙をテーマにした物語」であると定義していたのだとすると、
やはり、「神はもういらない。これからは人の時代だ」という結論を最後に明確に出したサガ3は間違いなく「サガ」の完結編なのかもしれません。

殺伐さとか、自由度はテーマではなくただの色づけでしかないですもんね・・


2008年 ありがとうございます!
ニーチェに関してはあまり自信はないです。
もう帰る


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