雨に響く記憶
ミンサガ
もう帰る
北バファル大陸の最北端の街ノースポイント
ドライランドという乾燥した地域にあっても海に近いせいか、適度に湿気があり、
そして緑が豊かである。

マルディアスを一本の線でつなぐニューロードは此処から南に向って延びる。
南からやってきた旅人は此処から先は船で行くか、元来た道を戻っていく。
いずれにしても、旅人達はここで、一旦疲れたからだを休める。

故に、この街はそういう旅人を相手にした店や宿屋が数多くあり、
加えて、ワロン島へ向う船の出る港は常に陽気に賑わっている。
この街に訪れた冒険者の一行はアロン島への船が出るまでしばし逗留する事に決めた。



ノースポイントの窓から景色を眺めていたファラは
「あ」っと短く叫んだ。
そして、後ろを振り返って言った「ねえ、雨だよ」
それは珍しい事であった。青いインクを水にといたかのような鮮やかな空の下にあるこの街は
乾燥地帯である故に滅多に雨が降る事はない。

「そう・・なのか?」

ファラの言葉に答えたのは短剣の手入れをしていたダークであった。
顔に覆面をし、けったいな化粧を施し、その瞳は焦点が常にあわず、
何かを思い出そうとするかのようにぼうっとしている事が多いが、
それも記憶喪失であるゆえだろう。
雨はさらに強くなる。

「グレイやバーバラはどこかで雨宿りしているかな」

今ここにはダークしかいない。
共に旅する、他の仲間はそれぞれ自分の用を足しに街へ出かけていった。
グレイは刀を修理しに行き、バーバラは夕食の買出しに行った。そしてホークは海へ。
雨は強くなる一方だが、まだ誰も帰ってこない。

「エスタミルも雨かなあ?」

ファラは故郷の母親を思い出しながらそう言った。
母親は元気だろうか?旅に出るときは笑顔で送り出してくれた。
だが、その中に一抹の寂しさがあった。

ファラは雨のスクリーンの向こうにそれが映し出されているするかのように、
ぼんやりと窓の外をながめたままだ。
雨音は何故だか、意識を過去へといざなう。

たまたま、立ち寄った冒険者であるグレイに、「旅にでたい」とお願いですらなく、ただ、軽い希望として口にしただけだったのだが、あっさりと承諾されてしまった。
むしろ、ファラのほうが戸惑った。

たしかに、幼馴染のジャミルとダウドがエスタミルを出て行ったとき、
自分も一緒にいけたらと思っていた。
だけど、だからといって、生まれ育った街ををあっさりと捨てるのは考えたことがなかった。
それが出来るのなら、最初からジャミル達に付いていっただろう。

だが、灰色の髪の冒険者が何時ものように無表情に言った「なら、ついてくればいい」という一言で、ファラの中で、何かがはじけた。

ジャミルに会いたいというよりも、他の気持ちが支配した。
知らない世界を見てみたい。いろいろな人に会いたい。
それは常に心のどこかにあった。
だけど、最初の一歩を踏み出す勇気ときっかけがなかった。

突然開かれた可能性にファラは一も二もなく「行く!!」と答え、そして街を飛びだした。
そして今、エスタミルのあった大陸ではなく、北バファルの最も北の町にいる。
1年前には想像しえなかった事だった。

生まれてこのかたエスタミルを出た事のないファラの目には全てが新鮮に映った。
土地によって、考え方も文化も違うという事を知識だけでなく、知った。

勿論、旅は楽しい局面だけではなかった。マルディアスには色々な凶悪な生物が居る。
それらに出くわし、戦った事もある、突然襲われて怪我をした事もある。

そもそも、何かと戦うなどという事は初めてだった。だから、
それが人に害を成すものだと分かっていても自分がその命を奪った時は、手が震えた。
そして一日中ふさぎ込んでしまって皆を心配させた事もある。死ぬのが怖いと思った事もある。
だが、その中にあっても、いや、だからこそ生きているという事を実感できた。
そして、なんとなく分かった事がある。

ジャミルはだから旅に出たがったのだろうか?と。

笑顔の下で、常に何かを求め、何かに追いつこうとするかのように、
それとも追われているかのように焦燥に駆られていた幼馴染。

彼がエスタミルを去るのは必然だったのかもしれない。
あの事件がなくともいつかは同じ様に旅に出る事になったであろう。

ジャミルの目にエスタミルに安住する自分ははどう映っていたのだろう?
ファラは右手にはめた腕輪を見た。
それは、ジャミルがプレゼントしてくれたものだった。
あの時はまだ、何も知らない子供だった。

「どうした、ファラ。」

何時の間にかファラの背後に立ったダークによって、
思い出の潮流から引き戻された。

「あ、ダーク・・」

ファラは夢から冷めた子供のように呆けたように言った。
物思いにふけっていたとはいえ、声をかけられるまで、まったく気付かなかった。
そういえば、ダークは普段、まったく音をさせずに行動する事が
出来るということを思い出した。

「具合でも悪いのか?」

ダークは重ねて問うた。
覆面の下の表情は良く分からないが、気にかけてくれているようだ。
珍しい事だった、ダークはあまり意識を他に向ける事がない。
自分の混乱した記憶の事で手一杯なのだ。それは仲間の誰もが分かっていた。

だから、ファラはちょっとだけ嬉しかったと同時に、
この人にあまり心配をかけてはいけないと思い、大げさに両手を振りながら明るく答えた。

「別になんでもないよ!うん、大丈夫だよ!」

ダークは暫らくぼんやりと黙ったままだった。が、暫らくして
「・・それは腕輪か?」と尋ねた。

「え?」

一瞬何のことか分からなかったが、ダークの視線の先にある物を悟って
「ああ、これ?」
といいながら、右手を持ち上げてその腕にある物をダークに見えるよう差し上げた。

「これはあたいの幼馴染がくれたんだ。結構綺麗でしょ?」
ダークはその質問には答えなかった。興味を引いたのは別の事柄だったようだ。

「幼馴染・・・そいつは、お前の想い人か?」
ファラはその言葉に驚いた。何よりもまず、この人物の口から
そういう言葉が出るとは思わなかった。
そして、驚きは一瞬にして去り、別種の衝撃が走った。

「え?違う違う。そんなんじゃないって。友達だよ友達!!大切な友達だよ!!」

顔を紅くしながら、慌てて否定するが、その行動がすでに心情を物語っている。

きっとホークやバーバラあたりなら、それをネタにからかった事だろうが、
幸か不幸か目の前の人物はただ、その様子を黙って見ているだけだった。

ファラは一人で慌てふためいた自分が間抜けに感じ、また別の意味で紅くなった。
気まずい沈黙が流れる。最初にそれを破ったのは、意外にもダークだった。

「そいつは今何をしているんだ?」

「さあ、あたいもわからない。アイツはエスタミルを出て行ってから一度も帰ってこないから」

ファラは再び窓の外に視線を向ける。

「どこでどうしているのかな〜?アイツは」

言いながら、右手の腕輪にそっと触れた。
そのしぐさを見ていたダークは唐突に頭が熱を帯びるのを感じた。

何かを思い出しそうになるとそうなるのだった。
自分も誰かに何かを贈られた事がなかっただろうか?アレはなんだっただろう?
とても・・大事なものだったはずなのに、思い出せない。

だが、記憶の糸を手繰り寄せる前に、頭痛が引いた。同時に思い出せそうな感覚も去った。
ダークは残念な気持ちとともに、安堵した気持ちを抱いた。

自分は思い出したいのか、それともそうでないのか・・・自分の気持ちが分からなかった。
ダークはほっと息を吐いた。

「・・・ファラはそいつを探す為に旅をしているのか?」

「・・・う〜ん、それは違う気がする」

ファラは相変わらず、窓の外を見やったままだ。
雨でけぶる街の向こうにかすかにエメラルドグリーンの色をした海が見える。
エスタミルを南北に分けるイナーシーとはまったく違う様相をしていた。

アイツは今も願いを現実に変えるという、
あの海と同じ色の宝石を追い求めているのだろうか?
遠いむかし、まだ子供だった頃。目をきらきら輝かせながら
自分とダウドに向って夢を語った幼馴染の姿を思い浮かべた。

「あたいはね、確かにジャミルを追って行きたかった。
でも、それはアイツの側にいたいとかそう言うことじゃなくて、うんなんか上手くいえないけど・・・」

ファラは言葉を切ってダークに向き直った。

「アイツが何を求めているのか、あいつがどういう考え方をするのか。
アイツと同じ視点に立ったら、もしかしたら、分かるかもしれないって・・・
なんか良く分からないよね。ごめんね」

上手く言葉がまとまらないファラ恥ずかしそう笑いながら手を頭に当てた。
ダークは何も言わずに黙ったままだった。それに少し気まずくなり、
あははとわざとらしく笑いながら、再び窓の外に視線を向けた。

「あ、グレイとバーバラだ!」

窓の外に雨でずぶぬれになった仲間の姿を見つけた。
「あ〜風邪ひいちゃうよ〜」
ファラは部屋に常備してあったタオルをひっつかんで、慌てて宿の広間まで降りて行った。

ダークは部屋に一人取り残された。下から仲間達が談笑する声がかすかに聞こえる。
暫らく立ち尽くし、そして両手で頭を抱え込んだ。

ファラの言葉はダークの心のに眠る何かを目覚めさせようとしていた。
その気持ちは一体なんと形容したら良いのか、ダークには分からなかった。

あの人に少しでも近づきたい、少しでも理解したい・・

とても切実にそう言う気持ちを抱いていた事、
ただ、それだけを思い出した。

だが、それは自分の中で一番大事にしていたものだった。
雨音の奏でる旋律のなかでダークはそれを絶対に手放すまいと思った。
例え何があってもそれだけは・・・と。


2008年 ありがとうございます!
一般人ファラの心情について考えてみた。
そしてアルドラ寄りのダークでした。
もう帰る


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