死の支配する島4
ミンサガ
もう帰る
あたり一面見渡す限り黒い闇だった。
だが、恐怖は感じなかった。今まで、闇を怖いと思ったことはない。
光の降り注ぐ昼間よりも闇が支配する夜のほうが好きだった。

それを人には言ってはいけないと言ったのは誰だっただろう?

少年は何かを思い出そうとした。がそれは中断された。

「お前さえいなければ・・・」

それは厳密には空気を振動させる声ではなかった、が声のした方向を振り返る。
墨のように黒い闇のなかに人の形をした青白い燐光がぼんやりと浮かんだ。
背格好からそれは青年から中年の間ぐらいの男であると思われた。顔は光で覆われ、まったく判別がつかない。

その青い者は少年を見下ろし、そしてもう一度言う。

「お前さえいなければ・・」

そして、右手を振りかぶる。その手には何かが握られていた。
少年は向けられた限りない憎悪の念に縛られ、何一つ動かす事が出来なかった。
故にその憎悪とともに、向けられた刀の前に成す術もなく佇む以外に何ができただろう?

そもそも、何かしようという気があったのか・・・・

「殺す」

凄まじいばかりの負の感情を爆発させたその青い者は手にした刀を繰り出した。
その者の腕はその刀は確実に心臓を突き刺すはずだった。
だが何かが青い者を躊躇わせ、その一瞬の迷いが狙いをそらせた。

だが、それが何になるだろう?

左の胸を衝かれた少年は叫び声も上げずに倒れた。
意識はまだあった、だが、最早感覚はなく、痛みすらも感じなかった。
ただ、その者が向ける底のない怒り、憎悪を痛いほどに感じた。

青い光は少年の元に跪き、そして、手にした刀を逆手に持ち替えた。
朦朧とした意識の中で、右手が何かに触れた。殆ど無意識のうちにそれを掴んだ。
青い者が銀色に鈍く光る刀を振り下ろすのと、少年が手にしたものを上方に突き上げた瞬間はほぼ同じだった。

そして視界は赤い膜に覆われた。血のごとく赤い帳に。



そして、再び黒い闇の中で意識を取り戻す。

現れたのは先ほどと同じ青い光。先ほどと異なり、今度は複数あった。というよりも個々の人間の集合体ではなく、群集という一個の塊としてしか認識できなかった。

その中の一部が言う

「役立たず」

また別の一部が言う。

「厄介者」

それらの言葉が投げられる度に少しずつ、だが、確実に傷を負った。



「やめて!」

言葉の刃の中で、誰かが遠くのほうで、そう言ったのが聞こえた。

「アンタ達、あたいの弟に何するの!」

その言葉と共に、現れたのはまた別の青い光だった。それが現れると共に、青い塊は消えた。
光でぼんやりしていたが、今度は顔まで判別できた。
それは少年より一つか二つ年が上の少女だった。
青い光の中にあっても髪の色が金色である事が何故か確認できた。

その青い少女は笑いながら少年に向けて手を差し伸べた。その手をとろうと自らも手を差し出す。
その手が触れようとした瞬間、その少女は笑顔を残したままゆっくりと薄くなり、やがて消え去った。
だから、最悪の瞬間を再現する事は無かった。


再び塗りこめた闇の中に取り残された。


しばらくして、闇が凝固し、人の女性の姿となり、少年の前に立った。顔の部分だけが妙に白く、黒い衣裳も髪も周囲の闇と同化していた。まるで、闇そのものであるかのようだ。

その者は言う。

「これ以上ここにいてはいけない。」

闇の最奥から響いているかのような声だ。

その闇そのものである女は、少年に向ってかすかに微笑んだ。それはどこか悲しい笑顔だった。
それは何故だか、冷えきった少年の心の中を温かく充たしたが、同時に悲しみも溢れた。
少年は何か言わなければいけない気がした。言うべき言葉が何か会ったはずだ。だが、それを口にする前に、遮るように女は言った。

「お前の世界に帰るが良い。」

そして、上方を指差した。その先には光の点があった。
その光を目にした瞬間になにか強い力に引っ張られ、そして、視界に白い光が溢れた。
その光の中で闇の女が言った言葉が頭の中で響いた。

「これだけは覚えていてほしい。どこにいても私はお前を見守っている。そして・・」

だが光の洪水が全てを遮った。



今まで、意識を失っていた少年は目を覚ました。
視界はさだまらず、そして、自分に何が起きたのかも暫らく思い出せなかった。
天井を眺めながら、ぼんやりとした意識の中で呟いた。

「ここは何処?」

そういえば、前にもこう言うことがあったなと思い出した。そして、過去の思い出にいたたまれなくなり、思わず跳ね起きた。

「!!」

その瞬間左肩に走った激痛に言葉もなくうずくまった。そして、身体に受けた傷よりも激しい痛みが襲った。
その傷を受けた時の事を思い出した。自分を庇った少女の事を。
少女はあの時、確かに命を落とした。
その瞬間が心の中で何度も再生される。
せめて、自分がもう少し強ければ、いや、そもそも自分が居なかったらあんな事態にはならなかっただろう。
そう、自らを責めうずくまる少年の肩に何者かが手を触れた。

「まだ動いてはならぬ」

誰かが居る事に全く気づいていなかった少年は驚き顔を上げ、そして、反射的にその手を振りはらった。
人に触れられるのは苦手だった。そして、警戒の色を露わに相手を見つめた。
死の王は予想外の反応に若干むっとした。そして灰色の瞳を見返しながら、かわいげがない、と心の中だけでつぶやいた。そして、妹と似た顔だけに残念だとも思った。
ため息をつきつつ、口を開く

「一応傷口は塞いだが、まだ痛みは残っているはずだ。暫らく安静にしていろ」

少年は暫らく押し黙っていたが、やがて何かを思い出し、そして自分のとった態度を恥じた。
消え入りそうな声だったが、それでもはっきりと伝えた。

「ごめんなさい。あの人を助けてくれたのに・・」

「お前は、あの時約束した事を覚えているな?」

死の王は遮るように感情の無い声で少年に尋ねた。少年はその言葉に一瞬だけためらったがすぐに頷いた。

「はい」

その半瞬のち、すぐに疑問がわいた。
あの時、目の前で少女の命が消えて行った時、絶望の淵で叫んだ一言。それに答えるかのように現れたのはこの人だった。
そして、その人は冷酷に言った。

「お前の望みをかなえてやる。その代わりに・・・」

何を引き換えにしても構わないと思った。だから何も躊躇わずにその人と約束した。
忘れるはずが無かった。
だから、何故今自分が此処にいるのか、理解ができなかった。

「なら何で、生きているの?」

あの時、代わりに差し出したもの、それは自分の命だった。そのはずだった。

「お前が死んでしまったら、命を貰う事にならぬではないか」

死の王は自分でも良くわからない理屈を述べた。
当然、少年に理解できる訳もなく、戸惑った表情を浮かべていた。死の王はその様子をみて、面白くもなさそう、まるで自分が司っているものを完全に忘れているかの様な言葉で言い換えた。

「必要だったのは生きているお前だ、死人に用はない」

少年はその言葉の真意を図りかねたが、目の前の人物が自分の命を助けてくれた事だけは理解できた。

「ありがとう。助けてくれて」

感謝の意を伝える少年に対して、死の王はまるで兄の太陽神に対するように答えた。

「ふん、少しは礼儀を知っているらしいな」

少年は表面上は特に気にした様子を見せなかった。死の王はその様子に逆に、酷いことを言ったかもしれないと思ったが謝るのも間が抜けた話だとおもったので、特に何も言わなかった。
そして、ふと気になった。

「おい、お前、名をなんという?」

そう尋ねられても少年には答えられなかった。死の王は困ったような顔で黙ったままの少年にもう一度尋ねる。

「どうした?自分の名を忘れたか?」

勿論それは皮肉だった。少年は顔に何の表情も浮かべずに簡潔に伝えた。

「ありません。」

そして、少年はかすかに目を伏せて言う。

「だれも、名前なんてつけてくれませんでした」

死の王は予想外の答えに言葉を失った。だが、少年が今まで受けた仕打ちを思い出して、納得した。何を言ってよいか分からず、代わりに至極事務的に

「それでは不便だな」

とだけ言って少年の灰色の頭に手を置いた。なぜ、そのような行動をとったのかは自分でも良く分からなかった。
少年は触れられた瞬間、背筋のあたりが凍りつくような感覚を引き起こしたが、それは害意を持っての行動ではないと感覚的にわかったので、今度は振り払う事はしなかった。

「じゃあ、好きなように呼んで下さい」

少年は自分にはまるで関係ないことのように言った。

「そう言われても困る」

死の王は途方にくれた。名前をつけるという行為は、配下の者に煉獄竜だの煉獄草だの幸運の魔女だのと名付けてしまった自分には向いていない事は、部下の大法官に指摘されるまでもなく分かっている。

そもそも、自ら名乗っている名前も何のひねりもない。

かといって、名前がなくてはやはり不便だ。いっそ今まで名付けた者達のように名付けてしまおうか。そう思いながら、ふと手を置いた先の少年の頭を見た。その時、何か閃いた。
そこだけが母親と異なる部分である髪の色。おそらく、他の人間には居ないであろう髪の色。

「灰色・・・」

死の王は今思いついた事を口にした。言葉にしてから、意外と悪くないと思った。
だが、少年が食い入るように死の王の凝視し、何も答えなかったので、少々気分を害し、拗ねたように言った。

「不服か?名なしよりはマシであろう」

少年はゆっくりと首をふった。それを見て、死の王はやはり気に入らなかったのだろうかとすこしばかり、落胆したが、少年が次に言った言葉でそれが勘違いだと悟った。

「ありがとう」

少年はかすかにだが、微笑んだ。初めて見た笑顔に死の王は戸惑い、そして自分の中にあらわれた感情をもてあました。
どうして良いか、分からなかったので、無言で乱暴に頭を撫でた。

灰色・・グレイと名付けられた少年は初めて心が充たされたのを感じた。





純粋な闇が支配する場所。

そこに一人佇む女性はその場所から、全てを見守っていた。
あの子は兄である死のもとに去った。それはもともと自分が望んだ事だった。
そして、もう一人の兄である光もまた同じように望んだ。だから、此処まであの子を迎えに来てくれたのだろう。
上方に現れた光の筋は殆ど消えかけていた。それを見上げながら苦笑した。

「迷惑をかけるな。すまぬ。エロール。兄者。」

闇そのものである女は今は此処にはいない子供に言った。

「命が続く限り生きていて欲しい、それがシェリルの望みであり」

一旦言葉を切り、そして目を閉じる。

「私の望みでもある」

恐怖をもたらすだけでなく、もう一つの面をもつ優しき母なる闇は、それは神としてあってはならぬことだと思いながらも、たった一人の子供の幸せを願った。


2007年 こんな所にまでいらして頂きありがとうございました!
もうしらね・・・・♪
もう帰る


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