神を宿す舞1
ミンサガ
もう帰る

マルディアスの北バファル大陸の最北端から南の大陸ユーエン大陸の西の端までをつなぐ一本の道が存在する。

この道のお陰で、様々な職業の様々な人種が様々な目的で使用したが、もっとも盛んに使用されたのは、皮肉にも建設者の、「皆が安全に旅が出来る為」という当初の主旨に反し、軍事目的であった。
だが、いずれにしても交易と交流は成され、道は文明を活性化させる為の動脈と成った。
敷設された時は新しかったので、人はこの道を「ニューロード」と呼んだ。
だが、500年の歳月が経った今もその名で呼ばれ続けることになろうとは当時の人々は予想だにしなかったに違いない。
親しまれすぎた名故に今更改名するわけにも行かず、最早手遅れであった。
名前とは裏腹にこの道はマルディアスでもっとも古い道であり、すでに廃墟と化していたとしても何の不思議もないが、ほんの少しずつの修復を繰り返すだけで、充分に使用に耐えうる剛健さを持っていた。
もともとの基礎工事がしっかりとしていたのであろう、広く造られているので拡張する必要もない。設計者は恐ろしく先見の明があった人物に違いない。
道は昔も今も相も変わらずその威容を誇っている。

そして人も相も変わらず様々な目的でこの道を利用する。
「ニューロード」は自身の上で、人間が繰り広げる様々なドラマを過去から現在まで見守り続けてきた。そして遥かな未来、自身が風化し誰にも省みられなくる時までそれは続くであろう。
今から語られる、ある恋人達の物語りもまたそのうちの一つである。





再び会う日1



アルツール

北バファル大陸の覇者、ローザリア王国のほぼ中心に位置する。

温暖な気候の為か豊かな穀倉地帯の広がる地域であり、ローザリアの台所として知られるが、また、ニューロード上に存在する2大都市、エスタミルとクリスタルシティの中継地であり宿場町としても知られる。
旅人達がしばしの休息を求め立ち寄っては、あわただしく立っていく。
この町に住む人間には見慣れた光景だった。

旅人とはとどまらない者である。深く親しくなれば成るほど、別れはつらい物となる。
この町の人間も旅の人間も、それを繰り返し、いずれ、どんなに懇意にしても心まではひらかないという技を学ぶ。
それが良いか悪いかは一概にはいえないが、幸福な技術でないことは確かである。
このパブのマスターとそのカウンターの向かいに座る女もそう言う技術を知らず知らずのうちに身に付けてしまった人物である。

「姉さん踊り子だろ?なんか踊れや!」

吟遊詩人が爪弾くギターの音色がたゆたうパブの中である。カウンターに座る女に声をかける男があった。
相当酔っ払っているようで、好色そうににたにたと笑い、彼女の体を嘗め回すような下卑た視線を隠そうともしない。
女のほうはその視線に不快感を催しながらも、それは表面には出さずににっこりと満面の笑みを浮かべ

「あーら、ごめんなさいね、今はそういう気分じゃないの」

表情は余裕たっぷりだが、声の調子に男の言葉を一蹴する毅然とした物が含まれていた。

「ちぇ!それじゃ仕方ねえか、おい!そこの姉ちゃん!」

男の標的は他に移ったようだ。
酔っ払いがあちらのテーブルで給仕している赤い服の女の元に立ち去ったのを確認すると、女はマスターに向き直る。
先程はあの男が気に入らないからああいう口実で断ったが、本当にそう言う気分ではなかったのだ。此処にくる前に様々な出来事があったからだ。
マスターは何も言わずに女に向かって赤い液体の入った杯を差し出す。
女は其処で思考を中断された。

「サングリアね。あたしがこれが好きだって良く覚えていたね」

女の言葉を受け、マスターは今までの慇懃無礼な相好をくずし、答える

「ええ、もちろん。覚えていますよ。バーバラさん。私は貴方の踊りのファンですから。」

「あら?あたしのじゃなくてあたしの踊りのファンなのね?」

バーバラはちょっと可笑しそうに言う。

「お嫌でしたか?」

「ううん、嬉しいわ。」

皮肉でもなんでもなく、本当に嬉しそうに答えた。
芸術家は自分の作品をもって人々に感動をもたらす事を至上の喜びとし、その為に全身全霊を込める。踊り子たるバーバラにとって作品とは踊りに他ならない。
そんなバーバラを納得したように眺めてから、マスターは先ほどから気になっていた事に単刀直入に質問をした。

「貴方はお一人なのですか?」

びくっとサングリアの杯を持つ手が止まった。
その指摘はまさに今バーバラが塞いでいたことと大いに関係が有ったからだ。
その微妙な変化に気づいたか気づかないか、マスターはさらに尋ねる。

「一座のほかの方々、エルマンさんやナタリーさんは今日はもう宿にひきとられたのですか?」

尋ねながらマスターはそれはないだろうと思った。
パブでの芸の披露は彼らの貴重なの収入源だからだ。
しばし沈黙が降りた。マスターは他のカクテルを調合しながらバーバラの言葉を待った。
バーバラは少し逡巡した後、別にどうということでもないのだと思い直し、砕けた調子でマスターに告げた。

「実はねぇ、北エスタミルで別れたちゃったのよ」

「そうですか」

マスターは別に肯定するでも否定するでもなく、又、それ以上の詮索もせずにそれだけ呟いた。だが、それが逆にバーバラに安心感を与えた様である。さらに語りはじめた。

「あら、別に仲たがいした訳じゃないわ。彼らがウェストエンドに戻るというからね。あたしと行く先が違っただけ。それに芸人一座の間では良くある事だもの。別になんでもないわ。」

努めて明るく告げるが、次の瞬間

「でも、今度の一座は居心地が良かったからねぇ、ちょっと残念ではあるけどね。」別れ際の仲間達の泣きそうな顔を思い出し、寂しそうに笑った。

「そうですか」

そう答えたきりマスターは何も尋ねなかった。そしてまたしても沈黙が訪れる。
バーバラの言うように、別れはこれが初めてでない。バーバラが居た事のある一座から様々な理由で抜けていった人がいる。又、自分が一座から抜けたこともある。
今まででも何回か一座を変えているし、今後も一つだけに落ち着く事もないだろう。

だが、できることなら今まで居た一座を抜けたくはなかった。

芸人一座で一番年上でリーダー格だった手品師ブリズ、占い師の婆様ジーン、曲芸師のバジル、ひょうきんでお調子者の用心棒のヤバラー、そして自分にとっては妹みたいな存在だった歌い手ナタリーと弟分の会計士のエルマン、皆気のいい奴で、今までで最も居心地のいい一座だった。
本当は行き先が違うというのは嘘だった。それならば今自分はどうすればいいのか途方にくれる事もなかっただろう。

「なんだか、最近モンスターが多いねぇ」

バーバラは唐突に先ほどの話とは関係なさそうな話題を振った。
カクテルを造り終え、今度は皿を洗っていたマスターが視線を手元からバーバラに移す。

「ウェストエンドからエスタミルに来る途中で何度かモンスターに襲われたよ。いままではこんな事はなかったんだけどねえ。」

ニューロードは比較的モンスターに襲われる率が少ない。
彼らは何も遮る物の無い広いところがあまり好きではないからだ。特に昼間襲われる事などほとんどない等しい。
闇の眷属たる彼らはやはり太陽の光を恐れるのであろう。
だから、旅人達は昼間旅をする限り安全であるといえる。夜はひたすら大人しくその帳が再びあがるのを待つだけだ。

バーバラたちの一座もそのようにしてきた。実際今までモンスターに襲われたことなどたとえニューロードからタルミッタの長い距離間でも1度か2度ほどしかない。
しかし、今回は違った。今は笑って言えるけど、正直ここ人生終わりだと思うほどの窮地に陥った事もある。j

「まさか、あたしのせい、そんな訳ないよねぇ」

バーバラは冗談っぽく言いそこでその話は打ち止めにした。
ふと、先ほどの酔っ払いの男が向かった先に目をやった。男が悪態ついている事から察するに、男は次に声をかけた女にもすげなく断られたらしいことが伺えた。
バーバラはしばらくそちらの方向に注目していた。当然男のほうではなく、女のほうだ。

「ねえ、あの子は誰?新しく入った子?」

このパブには何度か立ち寄っているが、見た事の無い女だ。

彼女は燃えるような緋色の衣服を纏っていた。艶やかな漆黒の長い髪が目を引く。何故か顔の半分まで衣服で隠れてるが、現れているやや釣りあがっているアーモンド形の瞳の部分だけを見ても玲瓏たる美人である事が伺えた。
(もったいないわね)とバーバラは思ったが、こう言う場所では美しいという事が必ずしも益をもたらすとは限らないので致し方ないとも思った。
だが、バーバラが先ほどから気にしていたのは彼女が人目を引く容姿をしていたからではなく、その顔を確かに何処かで見た事があると感じたからだ。
でも、記憶の何処を探しても彼女と面識はない。一度でも会っていたら忘れるはずがない。
それにこう言う美人が二人といるわけがないとも思った。

「彼女は、3ヶ月前、突如として何でもいいから雇って欲しいと言ってやって来たんですよ。」

マスターはバーバラの問いに答える。そこで話は終わる予定だったが、マスターは何かを思い出したように語り出す。

「そういえば、彼女は妙なことを言っていました。私にかかわると不幸になるからあまり長くは居られない、と。だから私は彼女に言いました。」

そしてマスターはバーバラに視線を合わせて更につづける。

「そんな訳があるはずがない。と」

バーバラはその言葉が自分に向けられていることを悟った。

「ありがとう」

マスターは特ににこりともせずに

「いえ、私は何もしていませんよ」と言った。

やにわにバーバラは立ち上がった。
そして先刻からギターを爪弾いていた吟遊詩人のもとにつかつかと歩み寄る。
詩人はギターを引く手を止め顔をあげる。目深に被ったハットから蒼い眼がのぞく。

「おや、貴方でしたか。又お会いしましたね。」

詩人はバーバラの顔を確認すると特に驚くでもなく曖昧に微笑んだ。
バーバラのほうは知った顔に驚いた。彼とはウェストエンドで初めて会ってから2度目の対面だ。

「あら、あんただったの?気づかなかったわ」

「私に用があって声をかけたわけではなかったのですね」詩人はやや傷ついたような顔をして微笑んだ。

バーバラはからかうように「貴方の音楽に用があるの」と答えた。

詩人はその言葉の奥にある意味を了解し、バーバラにうなづいてみせた。

バーバラはそれを確認して踝をかえした。
そして喧騒の止まぬ中、店の中央に立つ。
あつらえられた舞台はない。自分が立つところが舞台だ。
軽く眼を閉じてからポーズをとる。最早彼女の耳には店の喧騒は届かなかった。全神経を研ぎ澄ませて曲が始まるのを待つ。

彼女の張り詰めた空気に周りも同調したのか、一人、二人と会話を止め、店は次第に静寂に包まれた。
店の人々は何事がおこるのか固唾を飲んで見守る。

場の空気が緊張の頂点に達した時、詩人のギターはかき鳴らされた。
その曲が奏でられた瞬間、バーバラはわずかに目を見張ったが、すぐに平常心を取り戻し意識を集中させる。

静から動へ移行する。

バーバラは無駄の無い動きで、だがしかし優雅さを失わずに宙に舞い、そしてくるりと回る。
詩人の奏でる曲と彼女の踊りは完全に融合し、最早曲に合わせているのか曲があわせているのか分からない状態だ。
バーバラが曲にあわせて躍動するたびにこの場所の空気も躍動する。

彼女が悲恋の舞を踊れば皆が悲しみに沈み、彼女が神に祈りを捧げる舞を演じればみな神に祈った気になった。
踊りによって人々に感動をもたらすのが踊り子の使命である。
彼女の踊りに皆が酔いしれる。
だが、今の彼女には地上の想念はなくただ、ひたすら踊るという行為に意識を捧げている。

この瞬間の彼女は最も神に近づいている人間だった。
アルツールの熱情の夜は始まったばかりだ。

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2006年8月 ありがとうございました!
ニューロードって名前について大いにツッコミを入れてみた。まるで新橋のよう・・・
もう帰る


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